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広島高等裁判所松江支部 昭和26年(う)91号 判決

控訴人 被告人 出井正秋 外一名

弁護人 青戸辰午

検察官 中野和夫関与

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

弁護人青戸辰午主張の控訴趣意は末尾に添附した別紙記載のとおりで、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

被告人出井に関する控訴趣意第一、二点について。論旨は要するに原判決の量刑不当を主張するものであるが、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し、本件犯罪の罪質、犯情を検討するに、被告人出井の本件犯行の動機が吉田操子をしてその実父の生活費を稼がせるためであつたとの所論の事情を斟酌するも原判決が被告人出井に対し罰金弐万円を科したのは相当であつて量刑不当の点は認められない。論旨は理由がない。

被告人光嶋に関する控訴趣意第一点について。児童福祉法第六十条第三項に所謂児童を使用する者とは雇傭契約によるとその他の事由によるとを問わず、児童の行為を利用し得る地位にある者を指称するものと解すべきところ、原判決の引用した証拠によれば、原判決の判示するが如く、被告人光嶋は貸席業を営み、十八歳未満の児童である吉田操子を接待婦として自宅に寄寓せしめ、これに売淫行為をなさしめてその売淫行為による利益を同女と分配取得する契約をしていたものであることを認め得るが故に、同被告人は同女の行為を利用し得る地位にあつたことが明らかであるから、原判決が被告人光嶋は児童福祉法第六十条第三項に所謂児童を使用する者に該当するものと判示したのは正当である。而して同条項は児童を使用する者は過失のないときは格別、児童の年令を知らないことを理由として同条第一項の規定による処罰を免れることができないと明示しているから、所論の如く、被告人光嶋が吉田操子の言明を信じ、同女が十八歳に満たない児童であることを知らなかつたとしても、原判決が証拠に引用した同被告人の検察官に対する第一回供述調書に徴し明らかなとおり同被告人は吉田操子の年令を確認するなんらの方法も講じないで漫然同女の言明を軽信したことを窺うに足るから、同被告人は吉田操子が十八歳未満の児童であることを知らなかつたことについて過失があつたものといわなければならない。されば、原判決が被告人光嶋の本件所為に対し児童福祉法第三十四条第一項第六号第六十条第一項第三項を適用処断したのは正当である。論旨は要するにこれと異なる独自の見解を主張するもので到底採用に値しない。

同第二点について。訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し本件犯罪の罪質、犯情を検討するに原判決の科刑は相当であつて、量刑不当の点は認められない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長判事 平井林 判事 久利馨 判事 藤間忠顕)

被告人出井正秋に関する控訴趣意

第一点被告人は吉田操子の父の友人であり、操子の父が貧窮其極に達し寝るに蒲団もない状態を示して、娘の就職を頼んだので、年令も十八才以上であるとの操子の父からの言明を得て救助したのであつて、此間、人を救うの意思はあつても、人を害するの故意は毛頭ないのである。

凡そ、刑罰は社会とか国家とか個人とかの利益を害した者に科せらるべきものであつて何等の害悪を及ぼさないものには、絶対に科刑してはならない。これは万世を通ずる法の精神である。

第二点かりに、原判決の如き見解をとるとしても其量刑は不当過酷である。

被告人光嶋政治に関する控訴趣意

第一点被告人は児童福祉法第三十四条第一項第六号に該当する行為をしたものとして処罰されているが、被告人は吉田操子が十八歳未満の児童であることを知らなかつたばかりでなく、被害者なりとせられる吉田操子が自ら十八歳以上であると明言しておるので之を信じて被告人の所有家屋で、淫行することを敢て制止しなかつたにすぎない。

原判決は従来の公娼制度と今日の売淫方法を同様に見ておるが、これでは憲法が泣く。今日の貸席業は文字通り貸席業であり、其家を借りて淫行する者は独立した事業者であつて、決して労働者ではない。従つて同法第六〇条第三項の適用はあるべき筈がない。もし、あるとすれば、国は売淫を保護助長せしめるものである。

第二点仮りに原判決の如き見解によるとしても犯意なき被告人に対する科刑としては不当に酷である。

なお趣意書第一点については補充書の提出をお許し願いたいと存じます。

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